愛の6回
絵馬みずきです。
友達とかに絵馬みずきとか呼ばれると小っ恥ずかしいです。今すぐにやめてほしいですがブログと短歌はやめません。
先日ツイッターで
その時に自分に必要な言葉を、
本当にちょうどいいタイミングで
かけてくれる人がいて、涙が出て、頑張って…の繰り返しだなあ
と呟きました。
私のついったー→絵馬みずき (@poipoisand) | Twitter
最近本当に起こるんです。こういうことが。
上京してきてから
「ああ、今日もダメだったな」
「こういうところを直さなくてはいけないな」「このままでいいのかな」
と思いつつ毎日を過ごしておりました。
そんな折に地元に10日間ほど帰省をしました。
帰省の最中に6回泣きました。
1回目は、実家に久しぶりに帰宅したとき。
母に駅まで来てもらったのですが姿を見たとたん今までためていたものが溢れてしまいました。だれかがお迎えに来てくれて「おかえり」と言ってくれることがこんなにもあたたかいことなんだな、と。
2回目は、兄からの手紙と、15歳の自分からの手紙を発掘したとき。
これは掘り下げて書きたいので別記事にしたいと思います。
3回目は叔母に会ったとき。
実家の近くに住んでいて挨拶がてら少しお話をしました。
私の叔母さんはとても陽気な人でいつもみーちゃんみーちゃんと私を可愛がってくれます。
東京で一人でやってる私に対して「あまり背負いすぎず。女は愛嬌!ニコニコして毎日楽しいことを探せば今の時代自然とやりたいことも未来も降ってくるよ」
という言葉をくれました。
その時私は、それとなくというかなんというか溢れんばかりの愛を感じました。
それは叔母さんからの愛だけではなく、神様というか見えない存在からの愛です。
自分を見失っている自分にこんなにもぴったりで背中を押してくれるような言葉をくれるのか、と・・・。この日に叔母さんに会わなければ、地元に帰らなければかけてもらえなかった言葉だし、いくらつぶれそうでも誰かからのひとことで私たちは元気になれて背中をおされて・・・。
私は結構スピリチュアルなことが好きなので余計にそれを感じたのかもしれません。
そんな壮大なことを想いながら帰ってから泣いてしまいました。(その場で泣くのは恥ずかしかったので我慢しました)
4回目はまだ幼い男の子のいとこに貰い物のシャネルのリップを折られた時です。
説明不要ですね。つらすぎました。
5回目は愛してやまない幼馴染とカラオケに行ったとき。
中盤くらいで私は岡村孝子さんの”夢をあきらめないで”という曲を歌いました。
この曲は母の十八番でもあり、受験生でくじけそうなとき母が歌ってくれて号泣した曲として私の中でベスト・フェイマス・ソングです。
帰省ラストの日というのもありさみしさもこみ上げ、大好きな友と一緒にいられるといううれしさも相まって、極めつけには
苦しいことに つまずくときも
きっと上手に 越えてゆける
という歌詞にすべてを持っていかれてしまいました。
もう、何回泣いてんねん・・・。
6回目は東京に帰る新幹線の駅のホームでひとりメソメソ泣きました。
シンプルに帰りたくないさみしいもう一回お母さんの味噌汁が飲みたいお父さんの激臭靴下のにおいをかぎたい、という感情ですね。言わずもがなです。
・・・と私の泣き虫度9千というのを紹介したところで今日は終わろうかと思います。
とにかく私は弱っても苦しくても助けてくれるひとやできごと言葉はあなたの近くに転がっていてそれに日々助けられているんだということをつたえたいです。
見えない力ってすごいよ。